福岡&博多祇園山笠

東流は博多の東部旧東町筋を中心とした流です!。その中で今年から本町に復帰する町が我が上浜口町です



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博多祇園山笠発祥の地・承天寺

今日は10月十五日、博多祇園山笠の清道の一つがある承天寺では「亀山上皇祭」が執り行われています。


山笠に携わっている人たちで承天寺を知らないといったら、山笠に出る資格がないと言われるほど、承天寺は山笠発祥のお寺として名高いところなのです。


それでは、承天寺に関する詳しい記述が書いてある「祭りの感想・承天寺」から、記事を転載いたします。


承天寺は聖一国師 円爾弁円によって仁治3年(1242年)に開山された寺院です。山号は萬松山。

5才から修行を始めた弁円は嘉禎元年(1235年)に34才で宋に渡ります。
宋での6年の間に天竺僧柏庭月光から経を授かり、径山の万寿寺無準禅師から印可証明を授かります。そののち帰日して博多に立ち寄った際に承天寺を開山しました。

源頼朝によって鎮西奉行に任じられた大宰少弐武藤資頼が大檀越となり、博多綱首(船主の貿易商)であった帰化宋人 謝国明(謝太郎国明)が援助しました。

勅許により官寺とされた承天寺は西海の巨利として栄え、盛時には四十三寺を有していたと伝えられていますが、現在では乳峰寺・天與庵・宝聚庵・祥勝院の四寺のみとなっており、駅の開設や都市整備などにより境内も狭まり、今では境内を二分するように道路が通っています。

境内には木造釈迦三尊像、絹本著色の禅家六祖像、高麗の銅鐘といった国指定重要文化財や、謝国明図像、県指定考古資料である完形の蒙古碇石(長さ209センチ、推定重量230キロ、凝灰岩製)を有しています。
このうち蒙古碇石は覚皇殿の前にあるので見ることができますが、その他の寺宝の多くは圓明閣に収蔵されています。

承天寺にはオッペケペー節で名を馳せた新派劇創始者の川上音次郎の墓所や、聖一国師とともに宋へ渡って織物などの技術を学び帰国して後に仏具の華皿と独鈷を意匠化して博多織の基礎を築いた満田弥三右衛門の墓所があり、また聖一国師によって中国より日本に伝えられたといわれることから「饂飩蕎麦発祥之地」の碑が立てられています。ちなみに羊羹・饅頭なども聖一国師が宋より伝えたとされています。

その他に、福岡藩勤王党の流れをくむ下級武士で組織され、のちに西南戦争で薩軍に呼応して決起した就義隊を偲ぶ「旧就義隊之碑」(黒田長成侯の筆)、お百度参りの石仏と将軍地蔵、鐘楼などが敷地内にあります。


承天寺から東へ100メートルほどの堅粕橋のそばには謝国明の墓所があります。

謝国明は南宋臨安府に生まれ、船主の貿易商である博多綱首として日宋貿易で富を得、承天寺に十八堂伽藍を寄進した人物です。

後に日本に帰化し謝太郎国明〔くにあき〕と名乗りました。日本に針治療を伝えたとされ、また飢饉のときには博多の人々に蕎麦を振る舞いこれが年越し蕎麦の起源とも言われています。

没年は弘安3年(1280年)10月7日と伝えられていますが、文永の役より以前に亡くなったという説もあります。彼の墓所に植えられた楠の木は墓塔を包み、以来700年成長しまし、「大楠さん」の名で親しまれるようになりました。終戦前後の失火ないし落雷により大楠は枯れ、今では横に植えられた若い楠の木が立派に葉を繁らせています。8月21日には謝国明の遺徳を偲んで大楠様夏祭が催されます。


承天寺を開いた聖一国師 弁円は博多祇園山笠の起源を作った人物とされています。

弁円が帰国した仁治2(1241)年、疫病の流行する博多の町中を弁円が町人に担がせた施餓鬼棚に乗って甘露水を振り撒き清め回ったといいます。

そのことから博多祇園山笠では承天寺の前に清道旗が設けられてそこを回ることとされていますし、勅使門には「山笠發祥之地」の石碑があります。



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承天寺本堂
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国指定重要文化財・木造釈迦三尊像
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山笠発祥の地石碑
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承天寺勅使門

※参考資料「祭りの感想・承天寺」 

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  1. 2006/10/15(日) 14:37:36|
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櫛田のぎなん・中洲祭りほか

ブログ更新がすっかり滞ってしまって、やっと何か書かねばと思い、重たい腰を上げました。


9月末には櫛田神社で銀杏の木の実を落とす「ぎなん落し」の行事があり、いよいよ秋本番といった季節の感が出てきました。


10月に入ると直ぐ隣町の中洲では、國廣神社の奉納神事?を伴った中洲祭りが開催されました。

中洲祭りでは歓楽街にふさわしく、國廣神社の御輿は全て女性が担ぐ御輿で、別名女御輿と呼ばれています。

期間中、中洲大通りには屋台が立ち並び、広場では歌謡ショウ、カラオケ大会、オカマショーなど中洲にふさわしいイベントが賑やかに催されます。

中洲に来て、先ず屋台のビールなどを飲みながら、オカマショーを見ている内にほろ酔い加減になり、お店にはとうとう寄らずに帰ってしまったという笑えない話もよく聞きます。

そういった事情を踏まえ、今年からはしご酒大会なるものも催され、たった3000円で、中洲のいろんなお店をはしご酒できるチケットも発売され、大好評でした。



そういった中、東長寺では開創1200年奉祝行事が10月1日の庭儀大曼荼羅供法要が開かれたのを皮切りに、次々とイベントが開催されています。

3日には御写経奉納法要、4日には天神のアクロス福岡シンフォニーホールにおいて、「天の響き(声明(ショウミョウ)公演)」が開催され、京都大原・魚山声明(30名)と高野山南山進流(40名)の二大競演があり、昼夜2回開かれ、いずれも超満員という盛況でした。

また、8日の日曜日には午前中の大般若転読法要、夕方からは境内において博多の和太鼓集団が集まっての競演「和太鼓フェスティバル」が催され、これも1000人以上の観客で埋め尽くされました。


これからも月末まで色々な行事が目白押しです。



次回は櫛田神社、東長寺に次ぐ第三の清道が作られる承天寺について書いていきたいと思います、


それから余談ですが、前回の映画の件ですが、10月28日から福岡ではキャナルシティ博多で公開されるそうです。
お時間がある方は是非見に行ってみてください。



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中洲祭り(國廣女御輿)

中洲祭り(國廣女御輿)
提供:博多の祭りHP


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  1. 2006/10/09(月) 15:04:17|
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