福岡&博多祇園山笠

東流は博多の東部旧東町筋を中心とした流です!。その中で今年から本町に復帰する町が我が上浜口町です



スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
  1. --/--/--(--) --:--:--|
  2. スポンサー広告

八番山笠上川端通・・・豆知識

ちょっと一息・・・ここで八番山笠に関する豆知識を披露しましょう。

八番山笠上川端通は昭和39年、当時上川端商店街でジーンズやジャンバーなどを販売するお店を経営されていた半田新一さんという方(故人)が、昔の飾り山笠を舁いでいた時代を残せないものかと思案され、自身で山笠が伸び縮みする構造を考案されて現在に至っているんです。

ですから、昔はこの八番山笠は半田山と呼ばれていました。

半田さんは、もう10年ほど前になりますでしょうか・・・テレビのCM(博多のお菓子の宣伝)で、昔の町並みの家の前で、ばんこ(木で簡単に作った長いすみたいな物)に座って「寄っていかんね」とニコニコしながら涼んでいるという役をされていましたので、ご覧になった方もいらっしゃると思います。


しかし今回、山大工さんが急遽新しく変わられたことと、昨年倒壊事故を起こしたことで、上下する構造を全く新しい方法に変えてやろうということになっていますが、半田さんが八番山笠を作られた功績は非常に大きいものがあります。


以前・・・昭和の時代は我々の八番山笠は、上下する構造はそのままなのですが、舁棒(かきぼう)の長さが舁山と同じ3軒棒で動かしていました。(現在は4軒棒といって、棒全体の長さが1.8mほど舁山よりも長くなっています)

当時の山笠は現在、商店街の中の「ぜんざい広場」で実物を見ることが出来ます。


舁手が七流の舁山と同じ人数で、重さだけが倍以上・・・我々の八番山は約2トンの重さがあります。

当時を思い出すと、悲壮なものがありました。。

なんせ、当時は櫛田神社の清道入りだけしかやってなかったんですが、それでも舁手は少なく、しかも年寄りばかり・・・(笑)

そんな状態で、清道を一周して出て行く。。

もう、一周するのに2分前後かかり、清道の中であっちに引っかかり、こっちに止まりという状態で、その度に飾りが大きく揺れ、桟敷席から悲鳴やため息が上がるのを聞きながら、必死の思いで動かしていました。


思い出すと、本当に懐かしいと同時に、よく今まで続けてこれたよなあって、感慨深いものがあります。



ところで、よくどうやって上げ下げをしているんですか?という質問を受けるのですが、昨年までは半田さんの構造に少し改良を加えて、電動で上下する構造にしていました。

それまでは人力でチェーンブロックを巻き上げて、上げ下げをやっていたんです。


まあ、中の構造については昔ながらの木造の構造で上げ下げ出来るようにした・・・ということでご理解ください。



今年は構造が大幅に変わるので、どういう感じなるのか、、、実際に作り上げて試してみないと何とも言えませんが、去年以上の素晴らしい山笠になることだけを願っています。


そのうちに清道の中で、電線の関係で、ただ一箇所廻っていない承天寺の清道を廻ることが出来れば、、、それを夢にこれからも頑張って続けていこうと思っています。



スポンサードリンク



無料アクセスアップツールWarp!-mini
URLを入力すると、誰かに閲覧されます。
スポンサーサイト
  1. 2008/04/23(水) 15:58:42|
  2. 博多祇園山笠
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://binbodasshutsu.blog71.fc2.com/tb.php/73-72885717
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。