福岡&博多祇園山笠

東流は博多の東部旧東町筋を中心とした流です!。その中で今年から本町に復帰する町が我が上浜口町です



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街はもうX'mas

昨日は久しぶりに夜の天神の街を散歩してきました。

人ごみは苦手なんですが、日曜日に繁華街に出ることは久しぶりなので、人の多さに圧倒されながら、少しだけブラブラとしてきました。

いつも思うんですが、この都会に出てきている人たちは、何か目的があって来ているんでしょうかね。

人ごみに何かを期待して来ているのでしょうか・・・?

あっ!私みたいな人もいましたね(笑)



でも、街はすっかりX'masですねェ^^。

デパートも近所の商店街も、近くのビルも全てX'masイルミネーションで光のお祭りの様相を呈しています。


ふ~ん・・・・・こちらもそんなに景気が回復したのかな?


何となく仕掛ける側の、涙ぐましい努力に見えて仕方ないのは私だけでしょうか。


人々は忙しくあちこちに動いていますが、手に抱えきれないほどの買った商品を抱えて・・・という人は一人もいません。


まあ・・・未だ、年末商戦に突入してないからなんでしょうね。


でも、大手企業はボーナスが出たんですよね・・・。


何か人ごみの多さと、きらびやかな光のオンパレード・・・、むなしく流れるX'masソング・・・久しぶりに出てきて、非常にアンバランスな感じを受けました。


街が明るくなることはいいことなんですけどね。



そうそう、写真は天神地区に隣接する警固公園(けごこうえん)というところで、毎年開催されているX'masイルミネーションイベントです。


ここには一際多くの人たちが集っていました。


私も久しぶりに見たんですが、とても奇麗でしたよ^^。



帰る途中、ちょっと離れたところにある教会が、ひっそりと建っているのがとても印象的でした。


良いですねェ^^・・・日本人は。



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警固公園X’masイルミネーション
警固公園X'masイルミネーションイベント風景

X’mas天神地区風景
天神地区X'mas風景

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  1. 2006/12/11(月) 17:11:38|
  2. 福岡県福岡市博多区
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せいもん払い

11月に入り、間もなく上川端商店街では「せいもん払い」が始まります。・・・11月16日から20日まで


ここで、「せいもん払い」のことを詳しく書かれている天神・新天町のシバタ洋傘店のホームページから了承を得まして、記事をそのまま掲載させていただきますね。



ーーーーーーーーここからーーーーーーー

福岡市では毎年11月中旬すぎにあちこちの商店街で「誓文払い」という売出しをします。転勤で福岡にこられた方や旅行者などから、せいもん払いのことをよく聞かれます。そこで知っている限りをお教えしたいと思います。

「せいもん払い」とはひとことでいうと「博多商人の商売への感謝祭のようなもの」です。ふだん儲かっている(?)お礼の意味で、この時ばかりは商売抜き、儲けを考えない商いをすることになっています。そして博多のせいもん払いのはじまりは明治12年にさかのぼります。

博多の誓文払いは大阪の蛭子祭の誓文払いがヒント
ユニークなのは、それを地域の売出しにまで高めたところ
八尋利兵衛さんはエラか!
日程は本来11月18日19日20日です


せいもん払いの名称

 
博多の誓文払いは大阪の蛭子祭の誓文払いがヒント
明治12年、博多の町に不景気風が吹いていたころ、商売を始めて年数もたたない博多下川端の漬物商の金山堂八尋利兵衛さんが大阪に行った際、たまたま10月20日の大阪の蛭子祭(えびす)で、呉服屋の「誓文払い」を目にしました。

その盛況ぶりに驚いた利兵衛さんは、「これだ!このせいもん払いを博多の多くの商店が共同でやればきっとたくさんの人が町に来てくれる」と思い、帰ってきてすぐにあちこちのお店を説得してまわったそうです。

それでその年、明治12年12月3日福博呉服商28店が参加しはじめての誓文払い開催されました。当時は安売りをする店はつぶれる前の店と思われるという時代でしたので、八尋さんの説得の熱意が伺われます。

博多のせいもん払いがユニークなのは、それを地域の売出しにまで高めたところ

初年度28店から始まったせいもん払いが、年々盛況になっていくのにつれそれを見て毎年参加店が増え、明治38年には、博多の殆どの業種の店が参加し、博多独自の「せいもん払い」という行事が誕生したのでした。

八尋利兵衛さんはエラか。

元来、商人はそれぞれが自分勝手でばらばらという時代に、博多の町に「せいもん払い」を仕掛け、作り上げた八尋さんの知恵と熱意に敬意を表します。

現在ではあちこちで行われているようですが、博多のせいもん払いがユニークなのは、いち早く、それを地域の売出しにまで高めたところです。
商人は商売の神様やお客様への感謝を忘れないこと、正直なこと、消費者志向、共同の精神、それに情熱が大切だということを教えられます。

八尋利兵衛さんの情熱に感謝と敬意を表したいと思います。菩提寺は博多祇園町の順正寺。


 
余談

明治の初め、博多は立地がよく商売がやりやすかったために博多商人の末裔たちは保守的になっていたそうです。
後から商売を始めたよそ者の金山堂の八尋さんが博多に新しい風を吹き込んだのではないでしょうか。

明治28年に、野村商店、笠野屋、中尾、石蔵屋、紅屋、福本、吉田、中尾支店、古井、岩田屋、肥後屋、具島、篠原、野村本店、丸三などが「正札組」を結成し正札販売を実行し、広告にもそれを宣言して大阪商人も驚嘆させたそうです。(それまでは正札という考えはなく、お客との駆け引きで商品の価格が決まる商売が当たり前でした。

博多のせいもん払いの日程は本来11月18日19日20日です。

博多のせいもん払いの日程は、いつのころからか11月18日19日20日に決まっていました。この時期は農家の収穫期が終わる頃で、多くのお客様が博多に出やすい行きやすい時期なので決めたようです。

最近は商店街連合会(福岡商店街百貨店量販店連盟)の会議で18日-20日に加えて買い物に出やすいような土曜日、日曜日が入った日程になるように決めています。

大阪の夷講誓文払いと違い、神仏の習しの日程にとらわれず消費者にあわせた日程にしているところが博多らしいと思います。

最近は、「給料日の後になるようにしたらいい」などと日程をかえようとの声もありますが、いまのところ八尋さんが始めた日程にこだわっているところです。


せいもん払いの名称の由来

1.神様への約束

江戸時代に大阪のある呉服屋が夷講(商売の神様といわれるえびす様の感謝祭。)の催しとして始めた、売り出しの名称がルーツといわれています。この大阪の「せいもん」とはもともと「誓文」と書き、本来は神様に約束を書いた文書のことです。大阪では元々恵比寿祭の折に呉服屋の蔵ざらえのせいもん払いを行っていた。


2.遊郭の女の人との約束

昔、遊郭があった時代、遊女にもてたいお客に、「年季が明けたら夫婦になろうね。」などと、遊女はお客にその場限りの神にかけて誓った約束の誓文を渡してはそれを反故(ほご)にするのが常でした。
遊女が神にかけてした約束を破った罰があたらないように神様にお願いして払ってもらうことを「誓文払い」といいいました。

それに習い、商人が「いつもはお客をだましてばかりいる店ですが(そんなことはありません)、罪滅ぼしで、蛭子様を祀って、正直に掛け値なしにする大安売りをしてます」という意味から「誓文払い」と名づけた売出しをはじめたという説があります。(博多では誓文払いの時に恵比寿様を祀ることはしていません。)

 
3.殿様との約束

兵庫県三田市でも誓文払いをしていますが、この誓文払いの由来は、江戸時代に殿様から商人は暴利をむさぼっていると言われ誓文を書かされたことに始まったと言われています。


博多のせいもん払いは、戦後数年後までは「誓文晴れ」と言っていたそうで、これは夷祭のずっと後で行われたので、すでに誓文払いは終わっているという意味で「誓文晴れ」といったのではないかと私は推理しているのですが、大阪の蛭子祭と時期が違うのにそのまま「せいもん払い」と言うのをはばかったのではないかとも考えられます。

戦後のせいもん払い復活1号は新天町
昭和21年に創業した新天町には博多がルーツのお店が多かったので創業の年に戦争で途絶えていたせいもん払いを復活しました。そのころは「誓文晴れ」と呼んでました。


ーーーーーーーーーーここまでーーーーーーーーーー


如何でしたか。
あまりにも詳しく調べていらっしゃるので、何も書き足すことはありませんでした(汗

柴田さん本当にありがとうございました。


因みに、シバタ洋傘店さんのサイトは
http://www.hakata-kasaya.co.jp/hakatagaku/seimon01.htm


皆さんも行って見てください。


それから、16日からの上川端商店街の「せいもん払い」では、いろんな商品が格安の価格で販売されますから、普段買いに行かない方もちょっと覗いたら、結構掘り出し物が見つかるかもしれませんよ。


是非、「せいもん払い」は上川端商店街にお越しくださいませ。



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上川端商店街せいもん払い風景
上川端商店街せいもん払い風景

上川端商店街せいもん払い・えびすくじ
せいもん払い:お櫛田さんのえびすくじ

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  1. 2006/11/15(水) 03:01:15|
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先日、やっと…   ホッ

忘年会の場所が決まりました。


本当は商店街の中で今度オープンする居酒屋にしたかったんですが、キャパが足りなくて、止むを得ず近くの・・・これも、比較的新しい居酒屋に決めました。


今度新しくオープンするその居酒屋は、何でも魚市場の関係の方がオーナーとのことで、魚料理には絶対の自信があるとか・・・。


私達の八番山笠の忘年会の翌日に、商店街の役員の忘年会がそこで開かれるとのこと・・・当日はオーナーも奮発して、通常1万円の料理を半額で提供するらしいです。・・・ククッ、、、羨ましい。

多分、初っ端はふぐ刺しから始まるんではないか・・・ア~涎が、。、。、。


まあ、・・・こちらの人数が多すぎるんで、仕方ないです。


昨晩はそんなこんなで、下見もかねてその居酒屋に訪問。。。なかなか落ち着いた雰囲気で、料理も和風とは言いながら、ちょっと変ったメニューで満足でした^^。



早速、案内状を作成して配らなければなりません。

(当日は一人5000円の会費で、二次会込みの料金ですから、すごく安いでしょ!・・・というのは、外部からのお手伝いいただいている方々に感謝の意も込めての懇親会ですから、オーバーした分は八番山笠より補填するからなんですよ)


でも、一段落でホッとしました^^。



しかしながら、年内にもう一度八番山笠の役員会(寄りと言います)を開かなければならないかも知れず、まだまだ忙しい日が続きそうです。


山笠、自分の仕事、ネット・・・時間配分が、、、足りないで~す(汗


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  1. 2006/11/10(金) 09:28:28|
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「博多深発見」

先日、西日本新聞・夕刊を見ていましたら、記事の中に「博多深発見」というコーナーがあり、非常に興味深いことも書いてありましたので、そのまま掲載させていただきました。


博多を歩いてみると、寺社の多さに驚く。古刹を巡り、京都をしのぐほどの様々な「日本初」を探すのが、一番人気の「発祥の地・寺社めぐりコース」だ。


承天寺は「日本初」の宝庫とも言える。博多織は同寺の開祖、聖一国師とともに中国に渡った満田弥三右衛門が技術を持ち帰ったとされる。

うどん、そばも同寺境内に「発祥の地」の石碑が立つ。因みに博多祇園山笠も、聖一国師が水(甘露水)を撒いて、疫病をしずめる祈願をしたのが起源という。


わが国最初の禅寺である聖福寺は、お茶で有名だ。開祖栄西が中国から種子を持ち帰り、日本の茶文化は始まった。境内に繁る豊かな緑の中に、茶の木を見つけることができる。

今年が開祖千二百年にあたる東長寺や、人魚伝説が残る龍宮寺も訪ね、妙楽寺では甘くない「ういろう」の由来が分かる。


見どころ豊富で人気が高く、すぐに定員に達するのがコースの難点。しかし、ご安心あれ。十一、十二日に「寺社町ウォッチング」があり、博多部の寺社の多くで、特別拝観や催しを楽しめる。


この連載を通じて紹介した四つのコースを全部歩けば、きっと博多の通になれる。気持ちの良いこの季節、ぜひあんたも「博多」に遊びに来んしゃい!(博多まちなか支局・金澤皓介が担当しました)


「ガイドと街歩き」

11月3~5、10~12日の各日、午前10時と午後2時の2回開催。
各回定員20人。

問い合わせは、博多情緒めぐり実行委員会=092(419)1012。
予約は同委員会=090(6632)4531


如何でしたか。…数年前から博多部を見直そうと、街づくり協議会が中心となって、ボランティアを養成したりして、新たな観光名所の発掘ということで、こんな活動をやっています。


まだまだ、博多には皆さんが知らない意外な発見が数多く残っているんですよ^^。



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承天寺

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東長寺


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  1. 2006/11/08(水) 04:02:40|
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博多祇園山笠発祥の地・承天寺

今日は10月十五日、博多祇園山笠の清道の一つがある承天寺では「亀山上皇祭」が執り行われています。


山笠に携わっている人たちで承天寺を知らないといったら、山笠に出る資格がないと言われるほど、承天寺は山笠発祥のお寺として名高いところなのです。


それでは、承天寺に関する詳しい記述が書いてある「祭りの感想・承天寺」から、記事を転載いたします。


承天寺は聖一国師 円爾弁円によって仁治3年(1242年)に開山された寺院です。山号は萬松山。

5才から修行を始めた弁円は嘉禎元年(1235年)に34才で宋に渡ります。
宋での6年の間に天竺僧柏庭月光から経を授かり、径山の万寿寺無準禅師から印可証明を授かります。そののち帰日して博多に立ち寄った際に承天寺を開山しました。

源頼朝によって鎮西奉行に任じられた大宰少弐武藤資頼が大檀越となり、博多綱首(船主の貿易商)であった帰化宋人 謝国明(謝太郎国明)が援助しました。

勅許により官寺とされた承天寺は西海の巨利として栄え、盛時には四十三寺を有していたと伝えられていますが、現在では乳峰寺・天與庵・宝聚庵・祥勝院の四寺のみとなっており、駅の開設や都市整備などにより境内も狭まり、今では境内を二分するように道路が通っています。

境内には木造釈迦三尊像、絹本著色の禅家六祖像、高麗の銅鐘といった国指定重要文化財や、謝国明図像、県指定考古資料である完形の蒙古碇石(長さ209センチ、推定重量230キロ、凝灰岩製)を有しています。
このうち蒙古碇石は覚皇殿の前にあるので見ることができますが、その他の寺宝の多くは圓明閣に収蔵されています。

承天寺にはオッペケペー節で名を馳せた新派劇創始者の川上音次郎の墓所や、聖一国師とともに宋へ渡って織物などの技術を学び帰国して後に仏具の華皿と独鈷を意匠化して博多織の基礎を築いた満田弥三右衛門の墓所があり、また聖一国師によって中国より日本に伝えられたといわれることから「饂飩蕎麦発祥之地」の碑が立てられています。ちなみに羊羹・饅頭なども聖一国師が宋より伝えたとされています。

その他に、福岡藩勤王党の流れをくむ下級武士で組織され、のちに西南戦争で薩軍に呼応して決起した就義隊を偲ぶ「旧就義隊之碑」(黒田長成侯の筆)、お百度参りの石仏と将軍地蔵、鐘楼などが敷地内にあります。


承天寺から東へ100メートルほどの堅粕橋のそばには謝国明の墓所があります。

謝国明は南宋臨安府に生まれ、船主の貿易商である博多綱首として日宋貿易で富を得、承天寺に十八堂伽藍を寄進した人物です。

後に日本に帰化し謝太郎国明〔くにあき〕と名乗りました。日本に針治療を伝えたとされ、また飢饉のときには博多の人々に蕎麦を振る舞いこれが年越し蕎麦の起源とも言われています。

没年は弘安3年(1280年)10月7日と伝えられていますが、文永の役より以前に亡くなったという説もあります。彼の墓所に植えられた楠の木は墓塔を包み、以来700年成長しまし、「大楠さん」の名で親しまれるようになりました。終戦前後の失火ないし落雷により大楠は枯れ、今では横に植えられた若い楠の木が立派に葉を繁らせています。8月21日には謝国明の遺徳を偲んで大楠様夏祭が催されます。


承天寺を開いた聖一国師 弁円は博多祇園山笠の起源を作った人物とされています。

弁円が帰国した仁治2(1241)年、疫病の流行する博多の町中を弁円が町人に担がせた施餓鬼棚に乗って甘露水を振り撒き清め回ったといいます。

そのことから博多祇園山笠では承天寺の前に清道旗が設けられてそこを回ることとされていますし、勅使門には「山笠發祥之地」の石碑があります。



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承天寺本堂
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国指定重要文化財・木造釈迦三尊像
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山笠発祥の地石碑
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承天寺勅使門

※参考資料「祭りの感想・承天寺」 

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  1. 2006/10/15(日) 14:37:36|
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